2011-01-26

おばあちゃんへ。


今更だけれど「トイレの神様」の話。
年末によくこの曲が聞こえてくる事があってもじっくり聴いた事がなかったけど、じっくり聴くとおばあちゃん子だった僕はつい涙してしまう。世の中には様々な祖母という意味でのおばあちゃんが居ると思うし、それぞれみんないろんな想いがあると思う。素直に受け入れられない人もいれば、僕のようにどうしようもないくらいおばあちゃんに甘えっ子だった人にとってみると、この曲は悔しいほど泣ける。
僕はおばあちゃん子だった。小さい頃は毎日のようにおばあちゃんと食事をして、三輪車に乗った僕と散歩に行ったり、電車を見に行ったり、一緒にスーパーに行ったり、料理のまねごともした。おばあちゃんの膝の上に座って飲む温かいミルクは何よりも美味しかった。小さい頃からVWが好きだった僕にたくさんVWのミニカーを買ってくれて、僕が車を運転するようになってからおばあちゃんを初めて乗せた時は誇りに思ったものだった。

僕は十五歳で家を出て日本に居なかったので会う機会が滅多に減り、たまにおばあちゃんに会う度に見る老いて行く姿は辛かった。そして亡くなった時の事は本当に今でも悔しい、、、。

おばあちゃんとは僕にとって---たぶん、おそらく他の人にとっても---絶対の味方だった。何をしても許してくれたし、何をやろうとしても認めてくれた。もちろんそればかりじゃなく、いろんな事を教えてくれたりもした。ドラえもんのエピソードに「おばあちゃんの思い出」というのがあって、未来から会いに来たのび太の事をおばあちゃんは「誰がのびちゃんの事を疑うものですか」と非現実的な事情を疑いなく受け入れる。そんなのび太のおばあちゃんくらい、僕のおばあちゃんは僕の味方だった。

でもおばあちゃんが今の僕を見て何て言うか考えると涙が出て来る。
本当に本当にごめんねって謝りたくなる。そして、許してもらおうとしている自分が腹立たしい。
おばあちゃん、本当に本当にごめんね。
いつか又きっとお墓の前に立ってきちんと近況を報告できるようになるから、もう少し待っていてね。