2007-09-21

キング作品の映像化について。[シェルダン姓のなぞ]

WOWOWで放送していた『ミザリー(Misery)』を何となく最後までついつい観てしまいました。観るつもりもなく、なんとなく観てしまったという感じだったんだけれど、ずいぶん久しぶりに観ると印象が違うような気がします。おもしろいんだけれど…と何となく濁ってしまうような感じ。これはずっと前から感じていた事なのだけれど、きっと原作が秀逸すぎるというのも原因のひとつなのではないのだろうか。ご存知の通り原作はスティーヴン・キングによる小説で、雰囲気的にもストーリーの完成度も『シャイニング(The Shining)』に劣らないと思うんだけれど、どうも映像化してしまうとキング特有の味が落ちてしまうというか、どことなく抜けた感じがあって、映画そのものも下手するとB級クラスになってしまうような、非常に危険な感じさえしてしまいます。これは『ミザリー』だけに言える事ではなく、キング作品が映像化されたほとんどの映画作品についても言える事だと僕は思っているんだけれど、例えば同じようにたくさんの小説が映画化されているマイケル・クライトンの場合においては、映像化しても垢抜けしたままだし、キングのような何て言うか泥臭さというのが感じられない。そうそう、「におい」なんですよね。キングの場合だと映像化されたものを観ていても---映画『スタンド・バイ・ミー(Stand by Me)』は一人歩きし過ぎているので別として---、どことなくペーパーバックの匂いがしてくるような気がして、それが妙に映画とマッチしないところがあり、本で読むべき何だろうなあとついつい思ってしまい、結果的に映像化されたものが場違いで間違ったもので冒涜的に思えてしまう、その繰り返しのような気が僕はします。所詮ホラー小説だからと言われると困っちゃうんだけれど、まあ、そう言うと行き先がなくなってしまうし、どこにも辿り着かなくなってしまう。ひとつこの『ミザリー』について僕が抱く疑問は、なぜファンであるアニーの自宅に拉致された作家の名前をキングはシェルダンとしたのか。作家のシドニィ・シェルダンがどうしてもイメージされるような意図なんだろうと思うんだけれど、ちょっと不思議です。

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