2009-09-25

今更ザ・ビートルズについて。[根本的なもの、進化したもの]

先日アップした記事の最後に最近どうしてザ・ビートルズがよく流れているのかと書きましたが、デジタル・リマスターのセットが発売されていたみたいですね。洋楽が好きだと言うとあまり洋楽に詳しくない人の中では、「洋楽好き=ザ・ビートルズ好き」であるという直結型イメージがあるように思うんですが、そんな事はない。たしかに嫌いじゃないし聴いたけれど、ザ・ビートルズはひとつのジャンルとして世間にも僕の中にも存在してて、しかもそう言われるようになってから数十年も経つのに今更ザ・ビートルズはひとつのジャンル化したと言ってるヒョーロンカの方の感覚がどうもよくわからない。でも、まあ、リマスターの音質と現代における彼らの音楽の価値というのは別な問題でもあると思うので、その辺りは今日は触れず。

で、前期と後期に分けると僕はやっぱり後期の作品の方がずっといいと思います。アイドルグループじゃなくてミュージシャンとしてのザ・ビートルズですね。アルバムで言うと『リボルバー』か『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』、初期ならアルバムじゃなくて楽曲だけれど「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」でしょうか。不思議なものでカバーしてるミュージシャンの楽曲は好きというパターンが多く、今日の画像の『A GRP ARTISTS' CELEBRATION OF THE SONG OF THE BEATLES』というアルバムが僕はすごく気に入ってます。何度かBlogでも書いた事があるし、それこそ今更感が拭えないですが、何と言ってもこのアルバムを知ったおかげで僕はダイアナ・クラールを知る事が出来たし、青春時代よく聴いたアルバムトップ10には入るほど聴きました。チック・コリアの「エリナー・リグビー」も渋くて好きだし、ジョージ・ベンソンの『ザ・ロング・アンド・ザ・ワインディング・ロード』も美しい。でもカバーが好きだという事は原曲も好きだという事なんだろうな。

彼らの曲を聴いていると世の中って本当にややこしくなったんだなあと思うんですよね。つまり---かつて当時はそうではなかったけれど---単純な音楽のストラクチャーと現代の複雑な作りを考えると、音楽だけではなく世の中の仕組みだとか、そういう辺りまで考えが広がってしまい、後天的で極めて個人的ではあるものの、音楽とは別なところで純粋にどこか完全に楽しめないような気がします。もちろんそれは僕が偏狭なだけだと思うし、決してそれは彼らの音楽に限って言える事でもない。別に僕は音楽に単純さを求めて聴いている訳ではないし(確かにそういう傾向は否定できないにしろ)、複雑なストラクチャーというのもバロック音楽などを始めとして昔から存在していた上、そんなストラクチャーがあるからこそ楽曲が素晴らしく完成しているとも思います。ある意味、ザ・ビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』はまさしくストラクチャーが素晴らしいとも思うし(ザ・ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』も同様)、この頃から音楽がひと味もふた味も変化したのだと思う。いや、進化か。そういう意味でも彼らの存在というのは大きいのかも。あー、そういえば余談だけど、中学の時の担任の先生は『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を授業中によく褒めてたっけ。

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